私と東京教育大学附属聾学校、そして「聾教育実践研修会」
※創立150周年記念誌より抜粋・要約
昭和42年、執筆者の本校元教頭である馬場顕先生は福島県立の盲聾学校から、東京教育大学附属聾学校(現在の筑波大学附属聴覚特別支援学校)へと赴任しました。着任当初は教務部に所属し、主に産休や病欠の教員の補習を担当する日々で、担任を持たず、教育実践に深く関わる機会が少なかったと振り返っています。
しかし、翌年には教育方針の転換により大きな変化が訪れます。幼稚部から小学部へ異動し、小学部1年1組の担任を任されました。この学級は、附属聾学校が全国に先駆けて取り組んだ「年齢対応の教育」に基づき、3歳で入学し、3年間の保育を経て小学部へ進んだ第一期生たちでした。
通常、小学部の担任は小学部の教員が務めるものですが、この学級は幼稚部所属の教員が担任を務めました。その背景について馬場先生は、必要に応じて幼稚部の支援が行いやすい体制を意図したものだったのではと推測しています。結果的に、担任した子どもたちは高い言語力を持ち、国立大学へ進学する児童もいたといいます。
昭和63年には、校長・教頭・教務主任の退職や異動に伴い、馬場先生は教頭として学校運営に関わることになりました。当時開催されていた「関東地区聾教育研究会」に対しては、「形骸化している」との指摘もありました。そうした声を受け、新たに企画されたのが「聾教育実践研修会」です。
この研修会は、初めて聾学校に赴任した教員が、聴覚障害児への理解を深め、実践的な指導力を養うことを目的としており、附属聾学校の教員が中心となって内容を構成しています。
馬場先生は、「今は誰もが自由に意見を言える、風通しの良い時代になった」としつつ、「だからといって教育法や成果が大きく進歩したとは限らない」と冷静に見つめます。そして最後に、「聴覚障害児の可能性を信じ、年齢対応の教育を果敢に進めた附属聾学校の教育力は、今なお驚くべきものだった」と150年の歩みに敬意を込めて締めくくっています。