卒業生の声 -平成23年度 第1回保護者会講演会-
平成23年7月19日の保護者会は、歯科技工士として働きながら、女子プロボクサーとしても活躍している28期生の小笠原恵子さんに講演をしていただきました。
第7回 小笠原 恵子さん(28期生)
2002年 筑波大学附属聾学校歯科技工科卒業。
現在、株式会社ジーシーに勤務し、歯科技工業務(CAD/CAM部門)を担当。
2010年7月、聴覚障害者の女子プロボクサーとしてデビュー戦を勝利で飾り話題となる。
NHKスポーツニュースでの特集をはじめとして、新聞、雑誌等で紹介され、今年5月には著書「負けないで」(創出版)が出版された。
はじめに
私は歯科技工士として、歯科材料メーカーの株式会社ジーシーに勤務して6年目になります。 仕事内容はCAD/CAMを使って、ジルコニアコーピング、チタンアバットメントを作っています。 コンピュータを使って、模型をスキャンして、得たデータを大きな機械に入れて加工します。できたものを確認、調整するのが私の仕事です。
もう一つ、職業があります。
それはプロボクシングです。
障害を持っていることで、なかなかプロテストを受けることができませんでした。
「耳が悪いから無理だ」と試合を断られ続けましたが、「できることを認めてほしい」とアピールし続け、一生懸命練習をして、ついに去年の7月、やっとプロテストを受けられ、ライセンスを取ることができた時は本当にすごく嬉しかったです。
歯科技工士 |
プロボクサー |
幼少期~思春期のころ
まず私の幼少時代のことをお話ししたいと思います。
私は生まれつき耳が聞こえません。耳が聞こえないことが分かったのが3歳の時です。私の母が3歳になっても言葉をしゃべらないことをおかしいと思い、病院に連れていき、診断の結果、聞こえないということが分かりました。その時から、母からは厳しい発音の練習を毎日させられました。母は厳しくてよく叩かれました。
幼稚園は普通の子どもたちと一緒の園に通いましたけれども、やっぱりコミュニケーションが難しいので、いつも一人ぼっちだったことをはっきり覚えています。
小学校低学年まではずっと孤独だったということもよく覚えています。
私は気がすごく弱かったので、上級生からいじめを受けました。
気の弱い私は、何も言い返せないでよく泣いていました。
中学2年生の時、あることをきっかけで、すべてに自信がなくなって、人との信用もなくなって、自分の殻に閉じこもってしまいました。
とうとう学校にも行けなくなって、学校に行かないで夜遊びに行ったりして、勉強もしませんでした。
中学校には言語教室という聴覚障害者の特別教室がありました。
その一人の先生にお世話になり、毎日その教室に来てもいいということで、普通のクラスに行かないで狭い部屋でその先生と二人きり、本を読んだり自分が好きなことをしていました。そのおかげで学校は出席扱いになり、卒業することができましたが、中学3年生になってもクラスには行けず、やっぱり卒業式にも出ることができなくて、一人だけ校長室で特別に校長先生から卒業証書をもらいました。今思うと恥ずかしい思い出です。
高校は、坂戸ろう学校高等部に進学しました。気持ちはまだ中学校と変わらないままで高校生活を迎えたのですけれども、初めて手話を覚えて友達と会話がスムーズにでき、楽しかったのですが、先生から初めてはっきりと注意され、先生に対する反抗心がわき起こり、私が切れてしまい、何回か停学を受けてしまいました。
私はこれではいけないと思い、なんとか感情を抑えたいと思いましたが、どうすればいいか分かりませんでした。本気で尼さんになりたいとまで考えました。
他に何か方法はないかと考え、ふと思いついたことが走ることです。
とにかく30分走ってみようと思い、走ってみました。最初は苦しくて、時間も長く感じましたけれども、その間にいろいろ考えることができ、走った後も疲れることで気持ちがすごく軽くなりました。皆さんも、ストレスがあれば走ってみると良いですよ。
著書「負けないで」では十代の頃の葛藤を率直に綴っている |
とりあえず、歯科技工科へ
高校3年生になると進路を決めなくてはいけません。その時は自分が何をやりたいか分かりませんでした。担任の先生が真剣に考えてくれて、筑波大附属聾学校の歯科技工科をすすめられ、他に行く当てもやりたいこともなかったので、とりあえず歯科技工科に入ってみようと思いました。
入学してからも、最初は憂うつな気持ちで、楽しいとは思えませんでした。
学生のうちに一度、歯科技工科をやめようと思ったこともあります。でも、後で絶対に後悔すると思い、卒業するまで頑張ろうと決めました。
卒業したおかげで今は仕事を得られ、ご飯を食べられますので感謝しています。
ボクシングとの出会い
ボクシングを始めたのは歯科技工科2年生の時、21歳になるときでした。
放課後の時間を使って何かスポーツをしたいと思い、護身術に興味があったので、空手、ボクシング、何でもいいのでやろうと思いました。
まず、空手の教室を見に行きました。しかし、胴着が高く、当時学生の私には払えなくて、それで断念しました。
たまたま家の近くにあったボクシングジムに行くと、Tシャツと短パン、靴だけで練習ができ、お金がかかりません。そこが魅力でボクシングに決めました。なんとなく始めたボクシングです。
ボクシングを始めて6年目の時、アマチュアの試合に出たいと思うようになりましたが、耳が悪いことを理由に試合に出ることは認められませんでした。
仕方なく、ジムが主催している小さな大会に3試合ぐらい出場し、全勝しました。
その時は、アマチュアの試合に出ることができない、試合をやらせてもらえない悔しさから、絶対に負けたくないという気持ちを持っていました。
何度もアマチュアの試合に出たいとお願いしましたけれども、その度に断られました。
そして一時はボクシングを捨てました。
ボクシングを捨て、キックボクシングと似たルールの新空手をはじめました。新空手は聞こえなくても試合の出場が認められ、私はうれしくて、10回以上は試合をしました。それも全て勝ちました。
ボクシングをやりたいのにやらせてもらえないという悔しさがあったので、ずっと勝ち続けられたと思います。
プロボクサーになってやる
聞こえないということで、耳が悪いということで、どうして断られるのか・・・
それを自分の中で認めたくなくて、その悔しさから、ダメと言った人たちを見返してやろう、プロになってやる、と思うようになりました。
プロテストを受けることができたのは、今、所属しているジムのトクホンジムの佐々木会長のおかげでした。最初はやっぱり聞こえないことで、プロテストを受けるのは厳しいかもしれないと言われていました。しかし通っているうちに、会長に私のやる気が伝わったようで、テストを受けることができました。
プロテストは後楽園ホールで、男子が多かったですが一般の人と一緒にテスト受けました。
通訳もないので、説明等が聞こえるわけではないので、不安はありましたけれども、周りを見ながら、想像しながら、だいたいの雰囲気を見て、自信を持ってテストを受けました。テストの内容は、筆記試験とシャドーボクシング、スパーリング2ラウンド、その結果、無事に合格することができました。
その時は本当にうれしかったです。
軽い気持ちで始めたボクシングですが、10年以上続けています。プロになれないと諦めた時もありましたし、まさか実現できるとは思っていなかったのですが、執念を持つことで実現できるものだと思いました。
後楽園ホールでのデビュー戦 |
1ラウンド54秒 TKO勝利 |
ボクシングでも聞こえなくて不便なことはいろいろあります。
セコンドのアドバイスが通じないことがあり、それも不便だと思いますし、終わりのゴングが鳴る10秒前のカツカツという合図がありますが、それが全くわかりません。相手の動きをよく見ていると、10秒前の合図を聞いた相手の動きが変わるのがわかります。その様子を見て判断しています。
終わりのゴングは、レフェリーがいますので問題はありませんが、アドバイスもない、自分で考えるしかない、ほとんど一人だけの戦いです。
実際にボクシングをやる前は、テレビで見たり後楽園に行ったりして、ボクシングの試合を楽しく見ていましたが、自分でやるというのは、もう本当に違います。痛いし、怖いし、怪我もするし・・・。前はボクシングが好きだったのですが、今はある意味で、ボクシングがちょっと怖いなと思っています。ボクシングが嫌いになったわけではありませんが。
最後に
十代の時はいつも背中を向けて逃げていました。
30歳になり、30歳になっても逃げてばかりではダメだと思い、今度はやり通したいと強く思いました。それで去年7月にデビュー戦を迎えることができました。
2戦目は、激しい打ち合いになり顔もあざだらけでボロボロでした。
先月6月の3戦目では初めての敗北、気持ちがゆるんでしまったようです。
負けた試合ですが、みんなに見てほしいと思います。
(3戦目のビデオ上映 1ラウンド1分54秒TKO負け)
今、目の骨と鼻の骨が折れています。
負けてしまって悔しいけれども、負けることは必ずあります。これも人生です。
これからも前向きな気持ちでがんばっていきたいと思います。
ボクシングというのは危険で、過酷なスポーツです。健康面でもルールがあり、簡単にリングに立つ事はできません。私にとってはリングに立てることが誇りなんです。
(2011年7月 歯科技工科保護者会・講演会)