平成21年度 第1回保護者会講演会 「歯科技工は面白い」
平成21年7月16日の保護者会は、聞こえない歯科技工士の大先輩である亀山勝二さんに講演をしていただきました。
聾学校に歯科技工科ができる以前に歯科技工士になられた亀山さんならではのご苦労や歯科技工への思いなどをお話しいただき、深い感銘を受けました。
ぜひ多くの方に知っていただきたく思い、亀山さんは本校の卒業生ではありませんが、特別編として講演内容を掲載いたします。
亀山 勝二さん
駅南デンタルラボラトリー 代表取締役。
1943年生まれ。3歳のときに脳脊髄膜炎にて失聴。
水戸聾学校、静岡聾学校高等部を経て、歯科医院に勤務。2年後、新設された沼津歯科技工専門学校(夜間4年制)に入学し、勤務しながら苦労して歯科技工士資格を取得。
27歳の時に独立し、29歳で結婚。健聴者の奥様と二人三脚で技工所を経営。社員9名(歯科技工士6名,営業・事務3名)を抱える歯科技工所のトップとして現在も現役で多忙。3人のお子さんは歯科医師。
本校の鴻歯友会(歯科技工科卒業生の会)賛助会員。
歯科技工は面白い
長い間、歯科技工をやってきて、私の体験から何が大事なのかを皆さんにお話をしたいと思います。
私は今66歳になりますが19歳の時から47年間、わき見をせず、ひたすら歯科技工をやってきました。続けられたのは、やはり僕は歯科技工が好きだからです。
歯科技工は本当に面白くて楽しいです。だから47年間続けられましたが、しかしそれは私一人の力では無理でした。人間は一人では生きられない。周りの人の支えがあったから、ずっと歯科技工を続けることができたと今もそう思っています。本当に感謝しています。
歯科技工士になるまで
私はもともと木工の会社に勤めるつもりでしたが、静岡聾学校高等部3年生の時に、歯科の校医の山田先生から「歯科技工をやってみないか?」と言われました。歯科技工が何たるか皆目わかりませんので、夏休みに歯科医院に見学に行きました。
昔の歯科医師は、治療が終わると自分で歯科技工もやっていました。私は「歯科技工はとても面白いな」と思いました。そこで山田先生からの誘いもあり就職しました。
さて、歯科医院に就職できたものの、私は資格を持っていませんでした。見習いとして見よう見まねで仕事を2年ぐらいやりました。その2年後に静岡県沼津市に沼津歯科技工専門学校ができましたが、入試科目に英語がありました。私は英語ができませんでしたので、仕事が終わった後、1年間に3年間分の英語を聾学校の先生の自宅で勉強しました。試験を受けるため願書を書いて送ったのですが、断られました。「聞こえないので遠慮してほしい、学校としてもろう者を教育した経験がない」とのことでした。山田先生はその返答に驚き、「それはおかしい。聞こえない人でも、試験を受ける権利があるはず」と抗議して下さいました。専門学校からは「ろう者とどのように話していいいか分からない」と言われました。そして「ろう者のために特別扱いはできませんよ」と言われました。山田先生は「それでもいいから、試験だけでも受けさせてほしい、お願いします」と、専門学校に何度も行ってお願いしました。
そこで、沼津歯科技工専門学校の設立母体である沼津歯科医師会の会長に、山田先生と母と私と3人で会いに行き、試験だけでも受けさせてもらえるように協力をお願いしました。何度もかけ合ってもらい、入学試験を受けることを認めてもらえ、山田先生のおかげで沼津歯科技工専門学校に入ることができたわけです。人生は何が起こるか分からない。当時は手話の出来る人はほとんどいませんでした。当然、手話通訳派遣制度もありません。世間では聴覚障害者に対する理解は今のようになかったので、山田先生が一生懸命になって下さらなければ、今の私はなかったかもしれません。だから私は山田先生に対しては、本当に心から感謝しています。
予想外の独立
山田先生のところに勤めて9年目の時に、「そろそろお前は独立したらどうか?」と勧められました。普通は独立したい場合は自分から辞めさせて下さいと言うものです。でも逆に「そろそろやめたらどうですか?」と言われてしまいました。今まで歯科医院に勤めていて困ったことはありませんでした。私の家は本当に貧乏で、母と二人でアパート暮らしなので、独立などできるわけがない。お金もないし、独立する考えはみじんもありませんでした。だから山田先生からどうかと言われても、「資金も土地もないので独立できない」と答えました。すると、「少し離れているけれども自分が持っている土地があるので、そこを貸してあげるから、家だけは自分で建てて、そこでやりなさい。」と言ってくださいました。家を建てるにはどうしたらいいか考え、銀行員の兄も協力してくれて、なんとかお金を借り、小さいですが、仕事を始められることになりました。
山田先生が何ゆえ親戚でもない私に独立を熱心にすすめるのか、その理由はあとになって分かりました。私が静岡聾学校在学中に教育熱心な校長先生が「聴覚障害者の職業範囲が狭く、職種も限られている。何とかならないか」と山田先生に相談があったということです。山田先生は「歯科技工は聴覚障害者に向いている。私が仕込んで将来独立開業できるまでに努力したい」と校長先生と約束されたそうです。
歯科技工所を始めたばかりの時には仕事が全く入らず、山田先生の歯科大学の同級生と先輩の先生方のところに山田先生が一緒に行って下さって、「この子が独立するので仕事をお願いします。」とお願いしてくれました。2つの医院から仕事を頂くことができ、仕事を始めました。取引先を増やそうと、歯科技工の料金表を持って歯科医院へ営業に行くと、「聞こえないのか。」と先生は驚き、「字は書けるのか?」とも言われました。それが心外でしたが、「翌朝来なさい。」と言われ、翌朝に歯科医院へ行くと、仕事を頂けました。コア(支台築造)一つだけでした。歯科技工の中では簡単な仕事です。技工料金も一番安いのですが、それはろう者に仕事を出すのが不安で仕方がなかったのかも知れません。
新しい取引先の最初の仕事はとても大切です。気持ちを込めてやらないと次の仕事はもらえません。簡単なものでも甘く見てはいけません。仕事を頂いて最初の一つ目は、技術的なことにもすべてに気を遣って、誠意をもって作り上げました。歯科医師の先生はそれを見て、「よく出来ている。明日またおいで。」と、コアの仕事をまた一つ頂きました。先生にしてみれば、私が聞こえないこともあり、どの程度できるのかどうか心配だったのでしょう。
コアが大丈夫だとなったら、次にインレーも、クラウンも、というように、仕事は少しずつ増えていき、そして最終的にはその歯科医院のすべての仕事を頂けるようになりました。そうなると、仕事をカットされた他の技工所のことが気になってしまいます。先生に他の技工所が困るのではないかと言ったら、「競争だから仕方がない。もしかしたらあなたも他の技工所に仕事を取られるかもしれない。だから仕事がもらえるときにはありがたくもらいなさい。」と言われました。
そういうふうにして、最初は2件だった仕事が増えていき、向こうから仕事の依頼が来るようになり、すべては口コミで、さらにどんどん仕事が増えていきました。
自分一人では仕事を片付けることが無理になってきて、人を雇うようになり、従業員も増えていきました。
歯科技工は素晴らしい
現在は20件の歯科医院から仕事を頂いています。本当に毎日が忙しいです。今年で独立して39年になりますが、自分の好きな時間、遊ぶ時間はほとんどない位でした。若い人から見れば、やりたくないと思われるかもしれませんが、でも上手に時間を調整すれば遊ぶことも自分の自由になる時間を作ることもできます。
歯科医師の先生方にも、いろいろな先生がいて、治療方針も考え方もまちまちです。ここで歯科技工士が自分のやり方を主張せず、歯科医師の先生に言われた通りに、要求に応えて作る必要があります。歯科医院ごとに、どんな方針なのかを全部把握して、頭の中に入れておく。それを掲示して従業員に仕事をしてもらう必要があります。何度も仕事を頂いていると、その先生の考え方が分かります。1~2年たてば、細かく指示されなくてもわかるようになるので、その通りに他の従業員に教えます。
歯科技工士という仕事は、本当に良い仕事だと思っています。目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても人間は生きてはいけます。
けれども口と鼻あたりが機能しなくなったら生きていけません。口というのは呼吸したり、食物を入れたりする大切な要素です。歯に関する仕事をしている歯科技工士、歯科衛生士、歯科医師は素晴らしい仕事だと思います。
歯科技工士が作った補綴物を患者さんの口の中に入れる。どんな食物も咬めるようになる。そういうのはうれしいことで、本当の喜びです。「作ってくれた人にお礼を言いたい」と言ってくれる患者さんがいます。「ありがとう」と言われると、作る人も嬉しいです。技工士冥利につきます。人や社会のためと思える仕事なのではないかなと思います。
若い人でも、歯をきれいにしたい、恋人から好かれたいと矯正する人もいます。矯正して、歯がきれいになり自信をもって笑えるようになった若い女の人もいます。
歯を変えると人間の顔は変わります。歯が1本抜けるだけで、間抜けに見えたり老けて見えたりで、逆に1本つけると若く見えたりします。歯科技工士はそういう重要な仕事をしています。
人はみな、1日24時間の生活をしていますね。それは当たり前で、みな平等に24時間あります。問題はその使い方です。
一番理想的なのは働く時間と睡眠時間と自由時間、8時間ずつ3等分ですね。しかし歯科技工士はそういうわけにはいきません。
8時間労働は歯科技工士にとっては夢のようで、現実的には難しい。私は技工が好きだから、長時間働いても苦になりませんでした。好きであれば仕事をするのが楽しくて仕方ないんです。
歯科技工はクラウン、インレー、ブリッジ、矯正、金属床、全部床義歯、インプラント、ノンクラスプデンチャーなど幅広いです。学校では主に基本を勉強していることでしょう。基本が大事です。高度で専門的なことは卒後でも勉強はできますが、在学中には基本を忠実に徹底的に学んだ方が良いと思います。
これから歯科技工士になる皆さんへ
働くというのは、歯科医の先生から仕事をもらって製作し、患者さんの口に入って適応して、初めてお金をもらえます。お金をもらうということは、プロということです。プロである以上はそれなりの仕事をやる必要があります。いい加減ではダメです。歯科医の先生は、仕事を出して、お金を払う。信用しているから仕事を出すし、信用されているから僕は仕事をもらえます。お金をもらうから、一生懸命に技工をして先生の要望に合わせるようにして作り、技工物を出すという厳しさがあります。歯科医の先生の期待に添えないと、プロは甘くないのでもう仕事をもらえません。「明日から来ないでくれ」「もっと安いところがあるからもう来なくてよい」と言われるときもあります。それで終わりです。次の日に行っても仕事はもらえません。甘えはだめで、毎日一生懸命きちんと作って出す必要があります。そうでないと仕事が来なくなります。
私は会社の社長といっても、朝はいちばん最初に出社し、夜は最後まで残ります。
従業員の中にも、その日によって仕事が多い人とそうでない人もいますが、一番多忙な従業員を私がフォローするようにしています。従業員と互いに協力しあうことが大事です。
若い皆さんも、頑張って欲しいと思います。皆さんなら大丈夫です。現在の歯科界は厳しく、歯科技工学校が全国的に閉校しています。聾学校の歯科技工科はここだけですね。歯科医の先生にとっては、歯科技工士がいないと仕事が成り立ちません。
10年から20年後に歯科技工士は、必ず必要な仕事になると思います。
人生というのは自分との戦いであり、簡単ではありません。余りの忙しさで逃げたいと思うときもあります。47年間平坦な道ではありませんでした。30歳くらいの時に逃げたいと思った時もありました。当時は国が皆保険制度を導入した頃で、患者さんが歯科医院に殺到された時で、きわめて多忙でした。1年間は365日ありますが、364日仕事をしました。すごいのかバカか、どちらか分かりませんが、364日、仕事をしたことがありました。今より歯科技工士が不足した時代でした。唯一の休日であるお正月に家族で旅行に行ったのですが、私は旅館で年賀状を書くという有様でした。本当に精神的にも参って、どこか遠くに逃げたいと思う時もありました。
でも、子供の寝ている顔を見て、逃げられなくなります。逃げることなどできない。そういうことがあるので、本当に子供はかわいいです。だから逃げられない。
子供とは仕事が忙しくて何も遊んであげられませんでした。ですが普通の子より自立心が強いと思います。子供は親に甘えないし、頼らない。頼れないということを子供は分かっているからでしょう。「勉強しろ」とは一度も言ったことありません。楽な子育てだったと思います。「子供は親の背中を見て育つ」という言葉がありますが、子供は子供なりに一生懸命やったと思います。
皆さんも「頑張れば出来るんだ」という気概でやってください。これから先の皆さんの幸運と活躍を祈ります。どうか頑張ってください。まとまりのない話になってしまいましたが、これで私の話を終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
(2009年7月 歯科技工科保護者会・講演会)