卒業生の声|筑波大学附属聴覚特別支援学校 歯科技工科 

2019年度 第1回保護者会・講演会『ひとつの道標みちしるべ

2019年7月18日の保護者会・講演会では、本校歯科技工科17期卒業生の小林正典さんに講演して頂きました。
小林さんは幼稚部から本校に通い、高等部本科卒業後に歯科技工科に入学されました。現在は茨城県守谷市で歯科技工所を開業されています。また、非常勤講師として歯冠修復技工学実習の指導をしてくださっています。

 小林 正典 さん(17期生)

1990年 筑波大学附属聾学校歯科技工科修了
       セラミックデンタルラボラトリー(現 ケイテックス)勤務
1993年 Kikutake&Robbins Dental Laboratory Chicago(アメリカ合衆国) 出向
2001年 有限会社 クエスト 入社
2003年~ 筑波大学附属聴覚特別支援学校歯科技工科非常勤講師
2006年 こばっちラボ 開業


はじめに

今日は『ひとつの道標』というタイトルで、私の歩んできた道をお話させて頂きたいと思います。
私は幼稚部の3歳から歯科技工科までずっとこの学校にお世話になりました。耳が聞こえないので、電話や、人と話すことが多い仕事は難しいので、親からも「手に職をつけて働く方がいい」と言われていました。私自身も、伝わらなくて仕事がうまくいかないのだったら、手に職をつけて、なにか形になるような仕事がいいと思いました。
歯科技工科に入った先輩に話をきいてみると、自覚があってすごいと感じました。自分もその道を歩みたいと思い、歯科技工科に入ることにしました。

歯科技工科の思い出

歯科技工科の同級生はみな個性的で、いろいろなことがありました。当時できたばかりの東京ドームに行ったりもしましたね。
勉強のことでは、当時教えに来てくださっていた全部床義歯技工学の山縣先生の試験のことが思い出されます。問題が1行だけで、論文形式で書いて答える試験です。
あのような試験はきちんと理解していないと答えることはできません。試験勉強では、まず説明文を書いてみて、またもう一度考えながら書いてみて、それを4回、5回くらい繰り返す、そういう準備をして試験に臨みました。
歯科技工の勉強は覚えることが多くて、一回ではなかなか覚えられません。くりかえし何度も書いて、理解するようにして勉強していました。

歯科技工科を卒業して

無事に国家試験に合格して、セラミックデンタルラボラトリーという東京の新宿にある歯科技工所(ラボ)で働き始めました。主にメタルボンドクラウン(陶材焼付金属冠)の仕事をしているラボです。ラボだけでなく、早稲田歯科技工トレーニングセンター(通称:ワセトレ)というメタルボンド技術を習得するためのスクールを併設していて、若い歯科技工士が集まっていました。私は昼はセラミックデンタルラボラトリーで働き、夜はワセトレのナイトクラスに通いました。
就職して3年くらいは、クラウンやブリッジのワックスアップ、キャスト、研磨等、メタルフレームの基本を徹底的に身につけました。甘くなくやはり厳しかったです。仕事で1日20本以上のメタルフレームを製作し、夜はスクール、両方を掛け持ちするのは大変でしたが、そのおかげでアメリカで仕事させてもらえるだけの技術を身につけられたと思います。
セラミックデンタルラボラトリーは日本だけでなくアメリカにも歯科技工所を設立していました。日本では上の人が陶材築盛の仕事を担当していましたので、なかなか自分にはその仕事が回ってきません。アメリカでならば自分も陶材築盛の仕事ができるのではないかと考えました。実は子どもの頃から海外へ行きたいと思っていましたので、社長にお願いしてみました。するとアメリカのラボに行けることになり、1993年の6月にアメリカのシカゴに行きました。

アメリカでの5年間

アメリカといっても歯科技工のやり方は日本とすべて同じですので、仕事は違和感なくスムーズに進めることができました。
初めは日本にいた時と同じメタルフレームを担当していました。1日に100本くらい注文が入りますので、それをこなすのも大変でした。そして3年が過ぎたころ、念願の陶材築盛の仕事をやらせてもらえるようになりました。陶材を盛って、焼いて、形態修正をして仕上げて、最低でも1日20本はやっていました。
歯科技工はアメリカでもやりやすかったですが、シカゴで2~3年過ごすと立場的に上になり、3ヶ月ごとに日本から来る新人の生活面の世話もしなくてはならなくなりました。食事を作ってあげたり、洗濯の場所に連れて行ったり、買い物に連れて行ったり、8人くらいのお世話をしました。聞こえない私が聞こえる人の生活面の世話をするとは思っていませんでしたので、大変ではありました。
そうやって5年間、一度も日本に帰らずシカゴで仕事をして、1998年の6月に日本に帰国しました。

帰国、そして独立へ

日本に帰国し、東京のラボに戻りましたが、5年も離れていたので知っている人は少なくなっていました。以前から知っている方が新しい会社を始めることになり、私はついていくかどうか悩みました。その時は引き留められて残りましたが、結局、2001年に自分も辞めて新しい会社に移りました。仕事内容はやはりメタルボンドでしたが、前の会社よりも小さい会社で、経営が少し不安定でした。いろいろ考えるところもあり、別の会社に移ろうかとも考えましたが、不安を感じたままここで仕事を続けるのなら、自分で歯科技工所を開業しようと思いました。

歯科技工を始めた頃、将来は開業したいと思い、開業について調べてはいました。本当はもっと計画的に開業を進めたかったのですが、自分は計画もないままに会社を辞めてしまいました。2006年のことです。

開業して

開業手続きをして歯科技工所をつくったけれども仕事がありません。はじめは前の会社から仕事を回してもらいながら、取引先の開拓のために歯医者さんをとにかく回りました。しかし、すでに他の歯科技工所に仕事を出しているので、簡単に仕事は頂けません。とにかく歯科医院を回って回って回って、やっと2~3件から仕事を頂けるといった感じで今に至っています。

歯科医院を訪問すると受付の方がいらっしゃるので、自分の名刺を渡して、院長先生とお話ししたいので時間を下さいとお願いします。会って頂ける場合もあればそうでないときもあります。
自分の技術を分かって頂くためのサンプルや歯科技工の料金表なども持参して話をします。仕事を頂くというのは簡単なことではありません。開業する場合は覚悟がすごく必要です。きついですが、それでも開業したほうがいいと思います。

開業して良いことは、やはり自分で働いたぶんがすべて自分に入ることです。100%入ります。そこから経費を計上して確定申告をして税金を払ったりして、決済されたものが自分の収入になります。
開業して5年、8年と続けていき、売り上げが安定すると銀行から融資を受けやすくなり、ローンを組むこともできます。勤務もいいですが、私は自分で開業して良かったと思います。

仕事上のコミュニケーションは筆談でやっています。歯科医の先生から口頭で言われる場合もありますが、書いて紙に残してもらうようにしています。また、電話の代わりにLINE やメールを使って頂いていますので、電話ができないことでの問題はありません。
今の仕事は4割ぐらいはメタルボンドで、あとは保険の仕事です。開業すると自費の仕事だけというのは難しいです。頂ける仕事はやっていかないといけません。また、他の歯科技工所と協力して、うちにない機械が必要な仕事は近くの歯科技工所にお願いしたりもしています。

歯科技工所の開業は、卒業後すぐは難しいですが、3年くらいで開業する人もいます。開業するためには、仕事だけでなく、セミナーに参加したりして勉強して、技術を磨いていくことが必要です。自分ですべて出来るようになってから開業したほうがいいと思います。
開業するときには、先輩に相談するといいです。私だけでなく、学校の近くで開業している小田さんもいますし、相談するのはただですから、相談して、自分が思うような見通しがつけられれば大丈夫だと思います。

おわりに

今、新しく歯科技工士になる人の数は本当に少ないです。国家試験の受験者数が1000人を切っています。これから歯科技工士の数が少なくなる分、仕事は増えます。苦しい、大変、と感じるかもしれないけれど、仕事はありますから、頑張って続けていれば、自分にチャンスが回ってきますので、続けてほしいと思います。「継続は力なり」まさにその通りだと思います。
続けていくには歯科技工を好きになることです。「好きこそものの上手なれ」という諺にもあるとおり、好きと思って取り組めば上手になります。
仕事をしながら技術を磨いて、技術があれば海外でもどこでも働けます。自分で開業もできる。それが技術の力です。

皆さん、夢を持って頑張ってください。本日はありがとうございました


(2019年7月 歯科技工科保護者会・講演会)

卒業生の声 一覧