卒業生の声|筑波大学附属聴覚特別支援学校 歯科技工科 

平成29年度第2回保護者会・講演会『だから 大丈夫!!』

 平成29年12月21日、本校歯科技工科19期卒業生で、牧師、国際手話通訳者としてご活躍されている郡 美矢さんにご講演いただきました。

 郡 美矢 さん(19期生)

1992年 筑波大学附属聾学校歯科技工科修了
        カナダの歯科技工所勤務
1995年~1996年 オーストラリアで1年間勤務
1996年~1999年 アメリカの大学にて神学、聾クリスチャン教育を学ぶ
1999年~2002年 大学卒業後、シカゴの教会で勤務、劇団に所属し、世界各地で公演
2002年~2004年 大学院で聾教育を学ぶ
2006年 帰国
兵庫県但馬神愛キリスト教会・広島県三滝グリーンチャペルで勤務、国際手話通訳者としても活躍


はじめに

 卒業して、25年ぶりに歯科技工科に来ましたが、ここには迷うことなく来られました。先月も、東京で講演会があり、25年ぶりに歯科技工科の先生方、先輩や後輩にも会い、とても懐かしく思います。
 生まれは四国の徳島で、高校を卒業後、この歯科技工科で3年間学びました。歯科技工科を卒業後、海外で約12年間生活しました。
 今の仕事は歯科技工ではなく、牧師です。国際手話通訳者や翻訳もしています。 私の特技はものまねです。人を観察するのが好きで、歯科技工科にいたときも、よく先生のまねをしていました。歯科技工用語で「鋳造」を手話で表すとき、それぞれの先生で少し特徴がありました。(いろいろな先生のものまねの実演して)このように、よく先生のものまねをしていました。
 さて、皆さんに夢はありますか?
 歯科技工士になる、それはいいですね。夢を持つことが大切だと思います。

 私は小さい時から人と違うことをしたい、また、海外に行きたい、という夢を持っていました。 私の親は私の夢に対して、無理だと言ったことはありません。やればできる、「聞こえないから無理」ではなく、「聞こえなくてもできる」ということを教えてくれました。 私の両親も聾者です。親は困ったと言ったことは一度もありませんでした。当たり前の生活が普通にできる、そういう親を見てきましたから、自分もできるのが当たり前と考えてきました。
 でも周りは、「聞こえないから人一倍頑張らなければいけない」とか「聞こえなくて大変ね」など、いろいろ言われました。 今日は、聞こえなくてもできる、ということについて私の経験を含めてお話ししたいと思います。

中学・高校時代

 私は小学生までは徳島聾学校に、中学と高校は地元の普通校に通いました。 その時は今のように手話通訳もノートテイクもありません。何でも自分でやる必要がありました。私は全く聞こえないので、一対一ならば口の形で読話はできましたが、集団の講義での話は分からないので、板書をお願いしたり、友達にノートを見せてもらったりしていました。
 中学の時に将来を考えました。友達からは吉本興業に入って漫才をやったらいいと言われました。聾学校から普通校の中学に入った時に、一番大変だったことはコミニュケーションでしたが、身振りやものまねを通して友達を作ってきました。将来…、そうか!さんまさんと一緒に話したり笑ったりするのも面白い。吉本興業には今までは聾者はいないので、悪くないと思いましたが、親から「苦労するよ」「食べていけないよ」「もう少し考えて」言われ、手に職を持つことを考えました。薬剤師になりたいと思いましたが、当時の日本の薬剤師法の欠格条項では、聾者は認められませんでした。兄もいろいろ調べてくれ、高校の先生にも相談し、歯科技工科に入りました。

歯科技工科の思い出

 歯科技工科での3年間、同級生たちはいろいろ個性の強い人達で、最初は喧嘩ばかりしていました。手話のできない普通校から来た人は口話で話し、聾学校から来た人は手話を使い、どちらの学校も経験した私は、どちらの気持ちも分かりますので板挟みになりました。だから私はいつも間に入って連絡係でした。1年が過ぎ、2年生になる頃にやっとみんなが手話が使えるようになってきて、3年生では全員が仲良くなりました。
 そして、そろそろ就職を考える時が来て、同級生は次から次へと仕事を決めて行き、私が最後になりました。 日本ではなく外国で働きたいが、歯科技工士であっても新卒の未経験者が外国で仕事に就くのは難しい。海外で働ける場所があるのか情報を求めて大使館に行ってみました。綺麗だったのはスウェーデン大使館、他にもスペイン大使館、カナダ大使館、いろいろな大使館へ行きました。そのくらい外国に憧れていたのです。最終的には担任の奥野先生がカナダで歯科技工所をしている日本人の方を紹介してくださって、カナダのバンクーバーに行くことができました。

異なる価値観に触れ

 今は歯科技工士の仕事は辞めて他の仕事をしています。その一つが国際手話通訳です。歯科技工士の仕事も良かったのですが、カナダで人から言われたことがきっかけで別の道を進むようになりました。それは初対面の自己紹介で「両親は聾者か?」と聞かれたことでした。日本では普通はいきなりは聞きませんが、アメリカやカナダの人はそのことをまず知りたいそうです。日本では私の親が聾者だと知ると、聞いてごめんなさいと言われることもありました。同情される必要はないのになぜ、と思いましたが、聞こえない親を持って可哀そう、という同情でしょうか。
 アメリカやカナダの場合は違います。逆です。「親は聾者、やっぱり!表情豊かで手話がハキハキしているからそうだと思った」と言われます。そして「親が聾者なのは羨ましい」とも言われます。 なぜそう思うのか聞くと、「だってうちの親は聞こえるから手話ができなくて、家に帰って家族でおしゃべりをしているけど、自分はひとりだから。親が手話ができればいいのに、手話のできる親がいると楽しいのに」と。日本とは違うと思いました。もっと手話でコミュニケーションを、聞こえる人にも難聴の人にも手話を使ってもらえるよう、手話の大切さをいろいろな場所に行って伝えたい、そのような仕事がしたいと思ったのです。

シカゴでの活動

 それでアメリカで大学に入り、神学と聾教育を勉強しました。卒業後はシカゴの黒人の多い街で黒人聾者を指導する活動をはじめました。貧しい街で治安も悪く、その街の聾者はほとんど学校を中退していて、英語の読み書きができない人が多くいました。しかし、手話ではスムーズにコミュニケーションができ、みな賢くてハイレベルでした。それなのに読み書きができないから仕事に就けていない。黒人聾者たちは自分の生い立ちを責めていました。自分の親が麻薬中毒やアルコール中毒だったり、虐待にあっていたり、親のせいで良い学校には行かれなかった、と劣等感を持っているようでした。
 でも、誰があなたをできないようにしているのですか?できないと思っているのは誰ですか? 聞こえないから、黒人だから、それが理由で仕事が出来ないのでしょうか?
 いいえ、違います。できます。肌の色は関係なく、聞こえる聞こえないも関係なく、自分でやりたい仕事を考えて、その仕事をするために努力をしないから仕事につけないのです。
 親の愛に恵まれないまま育ったそのような子供たちに教えるのは時間がかかります。
 聞こえなくても大丈夫、自分と同じ境遇で育ったロールモデルを見せて、「できないはずがない。できる。」と教える。それが必要なのです。
 黒人だから、聞こえないから、仕事がないから、求めるばかりで、もらうのが当たり前の生活、それは違うと思います。逆に、自分に何ができるのかを活動を通して伝えました。
 その活動のひとつが演劇指導です。演劇は読み書きができなくても、手話で伝えることができます。自分もできると自信を持ってできるのが演劇でした。仕事についていなかった(写真の)3人とも今は仕事を持っていて、たいへんうれしく思います。



世界各地を訪問

 「聞こえなくてもできるんだ」ということをもっと伝えていきたい、と大学院に入り、聾の子供たちへの教育、バイリンガル聾教育を勉強しました。バイリンガル=2つの言語という意味です。日本ならば日本手話と日本語のバイリンガルです。 日本語だけだと理解が曖昧な部分が手話と一緒に教わればよく分かる、ということがあります。そのような教育です。
 私が指導した子で、日本に来て2年間、アメリカ手話を教える仕事をしていた女性がいます。他の子も、学校の先生や弁護士になったり立派に活躍しています。

 私はこれまで57か国に行きましたが、私が訪れるのは田舎が多く、アフリカやアジアの貧しい地域も訪ねました。
 エチオピアでは首都から200km離れたところにある聾学校を訪問しました。生徒が幼稚部から高等部まで全部で150人ぐらいです。子供たちに「夢はありますか」と質問すると、子供達は皆ハイハイと手を挙げ、「学校の先生」「おまわりさん」「牧師」「お医者さん」と、聞こえないことは関係なく、夢をはっきりと話してくれました。
 私の子どもの時を振り返ると、これはダメ、この資格は取れないから無理、などと言われてきましたが、この学校では子供達は素直に夢を言います。
 それがいいと思いました。夢を持つことはよい。そして、夢だけで終わるのではなく、夢を実現させるために、ロールモデルを見て、あの人ができるならば私にもできる、自分も勉強して頑張ろう、そうやって目標に向かって進んでほしいと思います。

 シンガポールで訪れた都会の真ん中にあるケンタッキーフライドチキンは、店員さんが皆 手話を使っていました。マネージャーが1人だけ健聴者で、他は全員が聾者でした。ビジネス街にあるのでお客さんはビジネスマンが多く、注文はメニューを指差して伝えます。きちんと接客対応ができていて、とても感心しました。そして、もっとすごい店がマレーシアにあると聞き、行ってみました。マレーシアにある3店舗では、全員が聾者、なんと店長も聾者でした。 聞こえなくてもできるんです。ぜひマレーシアに行く機会があったら行ってみてください。

だから 大丈夫!!

 富士山に登ったことはありますか。私はドイツの友人と一緒に頂上まで登ったことがあります。富士山を登るルートは4つあるのですが、私はまっすぐの急な道を行ったので、たいへんきつかったです。もっと楽な道があると後で知りました。
 壁にぶつかった時も、乗り越える道はひとつではありません。他の道もあります。 聞こえなくても大丈夫、もっとできることはあります。
 私は聞こえないことにすごく誇りを持っています。聞こえなくてもできること、聞こえないからこそできることもあります。
 私は、日本語と英語の読み書きができるようになりました。国際手話、世界各国の手話も分かるようになりました。 だから自分が持っているものを活かして、これからも人の役に立つことをしていきたいと思います。
 歯科技工士を目指している皆さんは、技術を活かして人の役に立つ仕事ができますね。仕事が皆さんにとって楽しいものになるよう祈っています。

 聞こえないことは不幸ではありません。「聞こえないから」ではなく、「聞こえなくても」と価値観を変えればいいのです。
 皆さん、目標に向かって頑張って下さい。皆さんはきっとできます。大丈夫!! 先輩の私が保証します。頑張ってください。


(2017年12月 歯科技工科保護者会・講演会)

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