−聾教育との関わり−

校長 斎藤 佐和

前任の中司利一先生が任期半ばで筑波大学教育研究科長に選任されたことから,急なことでしたが後任として4月1日付けで附属聾学校校長に任命されました。身に余る大役で,躊躇する気持ちもありましたが,昭和45年から東京教育大学教育学部,昭和53年からは筑波大学心身障害学系の教官として仕事をしてきて,いつかその役割がまわってくると思っておりましたので,覚悟を決めてお引き受けすることに致しました。

非力ではありますが,子どもたちのため,学校の現在とこれからのため,力を尽くし心を尽くしたいと思っております。皆様方のご支援を賜りますようどうかよろしくお願い申しあげます。今回はPTA通信に始めて書くことになりましたので,聾教育との関わりを中心に自己紹介をさせていただくことにしました。

昭和40年に大学を卒業してすぐ川崎市立川崎聾学校に勤めました。既に附属聾学校や日本聾話学校では3歳児からの幼稚部教育が始まっていましたが,当時はそれが先を争うように全国の公立聾学校に拡がっていった時代で,川崎聾学校でも3歳児学級は始まったばかり,その大事なクラスを担任することになりました。男女4人づつのかわいい16の瞳と2年間を過ごしましたが,これが私にとって最初で最後の受け持ちの子どもたちです。先輩の先生方が助けて下さったとはいえ,新米教師の悪戦苦闘にお母さん方はよくぞがまんをして下さったと今でも思います。

この短い教師時代に,附属で開かれた夏期講習会に参加し,附属の子どもたちの生き生きとした自由なおしゃべりに,今で言えばカルチャーショックを受けました。同時に聴覚活用への幕開けの時代の熱気に触れ,その先頭に立たれていた萩原浅五郎先生のお話を聞くことが出来ました。お話の中身は思い出せないのですが,二度と先生のお話を聞く機会はなかっただけに,その場面のイメージは貴重な思い出として残っています。

その後,再度勉強したくなり,昭和42年の夏から3年間フランスで留学生生活を送りました。聾心理の勉強をしたことになっていますが,具体的には,大学の授業に出たり,パリ聾学校で実習(長期見学)するほかに,フランスの主な聾学校の小学部の子どもたちに作文を書いてもらって「書き言葉の習得に関わる教育的要因」を分析し,論文にまとめるという大仕事がありました。

聾学校の先生の自宅や寄宿舎に泊めてもらったり,時には学校のそばの木賃宿に泊まったりして,パリ聾学校を起点に,北はベルギー国境に近いアラス,西はフジェール,ナント,南西はボルドー,東南はスイス国境に近いシャンベリーと計6校をかけめぐりました。フランス社会を裏側から見るような貴重な経験でしたが,次第にフランスの聾学校教育が一般の学校教育とあまりに切り離されていることに不満も募ってきました。

教育の場所だけでなく教育の目標,内容においても分離主義的であることは,場所は分離していても,目標,内容において「準ずる教育」,附属で言えばもっと明快に「対応の教育」を目指していた日本から来た私にとっては納得できないところでした。また当時のフランス語の教育が過度に分析的で,音声主義的であることも,附属で見た自然法的な言語指導にあこがれていた身には賛成できませんでした(個人的には何人かの素晴らしい先生にも出会いましたが)。

フランスでの3年間の成果は論文1つの他,日本の聾教育についてある意味で自信がもてたこと,また自分の関心の中心である言語の教育については,日本の社会の中で日本語の特質をよく知った上で自ら考えるのが出発点だということを再確認したことでした。

ヨーロッパを手本にする気楽さではなく,自分で考えることの難しさと必要性を自覚したこと,要するにやっと考えが自立し始めたことが私の留学生生活の最大の教訓だろうと思います。他の領域も同様ですが,最近では様々な国内制度に関連してグローバルスタンダード(世界標準)の実現ということが言われています。

国連による国際障害者年の経験を経て,障害者福祉や障害児教育に関わる制度の分野にも,その波動は確実に届いています。世界標準が私たちの考え方,方法を改めたり拡げたりする可能性も十分あります。しかし同時にそこに私たちの先輩が築いてきた良質の内容を加え,私たちの社会に合う形を作っていくこともとても大事だ思うのは,私の場合,この留学経験のせいだと思います。

昭和45年に帰国して,幸運にもあこがれの国府台キャンパスで仕事をするようになってからもう28年目になります。大学教官としての教育の仕事は,昭和40年代は聾学校や難聴学級からの内地留学の教員に対する現職教育の仕事が主でしたが,昭和53年からは筑波地区での授業,平成元年からは大塚地区での夜間修士課程で授業や学生指導の仕事が加わりだんだん増えました。

一方,この間の研究者としての仕事の着想の殆どすべては,附属聾学校で授業を見たり,検査などで子どもたちに直接関わったり,先生方やお母さん方と話し合ったなかから得たものです。

皆様のお力添えにより,これから校長としての課題を何とか果たしたいと思っておりますが,これまでのことを振り返ってみると,諸々の意味で国府台にどれだけ恩返しが出来るか,それは個人的な課題でもあると感じます。

筑波大学附属聾学校『PTAだより・平成10年5月発行』より


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