筑波大学附属聴覚特別支援学校が所在する市川市の人口は約49万人、千葉県北西部に位置し、江戸川を隔てて東京と隣接しています。堀之内貝塚や曽谷貝塚などの遺跡が現存し、奈良・平安時代には、下総国の国府が置かれていたことでも有名です。また、日本最古の歌集「万葉集」に登場するなど、歴史と文学の匂いが色濃く残る街として今に至っています。 

 本校の設立は、1875年(明治8年)、古川正雄、津田仙、中村正直、岸田吟香、ボルシャルト、ヘンリー・フォールズの6名が「楽善会(らくぜんかい)」を組織し、盲者の教育を計画したところから始まります。1885年(明治18年)には、文部省の直轄学校となり、日本で唯一の国立の聾学校となりました。校名は、「東京盲唖学校」、「東京教育大学教育学部附属聾学校」、「筑波大学附属聾学校」等、多くの変遷をたどり、2007年(平成19年)4月、現在の校名「筑波大学附属聴覚特別支援学校」になりました。

 本校の特徴は、聴覚に障害がある乳幼児から高等部専攻科生徒を教育対象とし「一貫した教育」を実践していることです。子どもたち一人一人の個性を適切にとらえ、発達段階に応じた言葉の指導や社会性の伸長を図ることを教育目標としています。また、筑波大学の附属学校として筑波大学の研究や実践に協力したり、全国の特別支援学校教員や学生、海外の研究者の研修の場として活用したりしていることも特徴の一つです。

 近年は、フランス・韓国・台湾等の聾学校との国際交流を通して、異文化を理解したり主体的にコミュニケーションを取ろうとしたりする国際的資質を身につける学習や、筑波大学附属学校群(11校)の児童生徒との交流を実施しています。

 長い歴史と伝統を大切にし、聴覚障害がある子どもたちの社会自立と自己実現を達成するため、教職員一丸となって教育活動を展開いたします。これまで同様、関係各位の御支援御協力をお願い申し上げます。

令和6年4月1日             

筑波大学附属聴覚特別支援学校

              校長  伊藤 僚幸