創立130周年記念式典 学校長式辞 喜びのことば パリ聾学校からのメッセージ 記念誌 感謝状贈呈 トップホームページへ

喜びの言葉

心地よい風が吹き抜ける5月の空の下、私達の筑波大学附属聾学校は創立130周年を迎えました。21世紀という目の前に広がる新たな時代に期待を抱きながら、本校の130周年を祝うこの瞬間に立ち会えることに大きな喜びを感じています。

明治8年に「楽善会 」が組織されてから130年が過ぎた今、私達を取り巻く社会は徐々に変わってきており、それと共に私達の生活や生き方も大きく変化しているように思われます。

私達は今、日常生活や勉強する場面で、ごく自然に日本語を読み、書き、話しています。また、補聴器の性能の進歩により、音楽を聴いたり、歌を歌ったり、ダンスをしたりすることを楽しむことができる人も増えてきました。そして、友達同士で話をする時などは、いつでもどこででも、堂々と手話を使って気持ちを伝え合い、ワイワイ盛り上がることができます。遠く離れている友達とは、携帯電話やパソコンのメールでのやり取りを瞬時に行うことができ、電話を使えなくてもほとんど不便を感じなくなりました。多くのテレビ番組に字幕がつき、耳が聞こえないことで情報の取得に苦労するということも徐々に少なくなってきました。

21世紀を生きる私達にとっては、このようなことが不思議な事でも何でもなく、ごく当たり前の事です。しかしよく考えてみると、今の私達の生活の背景には、聴覚障害を持った先輩たち自身の様々な努力や工夫、両親や先生方の熱心な教育など多くの方々の熱い思いがあったのではないでしょうか。

一昨年、私達の学年は、文化祭で「聴こえない風」というテーマで、本校の歴史を含む聾教育の流れを調べたり、卒業生の方々や映画「四つの終止符」の監督の大原秋年さんにインタビューを行ったりして発表しました。その中で印象に残ったことがいくつかあります。 大原監督はインタビューの中で「聾唖者が苦労して日本語を覚える姿に感動を覚える。」とおっしゃいました。日本語を使いこなせるようになるまでは、私達自身も小さい頃苦しかったこともありますが、私達の両親や先生方も大変な努力や苦労をなさったはずです。大原監督の言葉で、改めてそのことに気がつきました。また、本校の卒業生の井上亮一先生、伊藤政雄先生、丸山篤子先生に対するインタビューでは、「手話は聴覚障害者の母語である。手話を大切にして、気持ちを伝え合おう。」、「日本人だから日本語も大切にしなければならない。日本語をきちんと覚える努力を忘れないように。」、「知識や技術をしっかり身につけることが大切である。そのためには努力すること、自分を磨くこと。」、「自分を信じ、周囲と信頼関係を築きながら生きていくことが大切である。」といった素晴らしいことを教えていただきました。

このような経験をする中で、私達が今、自分自身の夢を叶えるために伸び伸びと学び、力をつけることができるのは、130年の歴史を持つ筑波大学附属聾学校と、ここで学び巣立った後、社会の様々な場面で活躍なさっている先輩たちのおかげなのだと思うようになりました。創立130周年といういう節目の今日、改めて先輩の皆様、先生方、そして両親に感謝の気持ちを述べたいと思います。本当にありがとうございます。

現在、薬剤師などの国家資格取得を阻んでいた「欠格条項」も廃止になり、大学ではノートテイクや手話通訳などの「情報保障」が徐々に整備されています。私達が学ぶ意欲を持ち、そのための実力を備えていれば、様々なチャンスを生かして成長することができる時代になってきました。職業選択の幅も徐々に広がっていくでしょう。耳が聞こえないことによる壁が一つ一つ取り除かれ、ハンディを感じることがなくなる日がもう目の前に来ているように思われます。

しかし、そういう時代になってきたからこそ、私達は知識や技術をさらに磨き上げる努力をしなければならないのだと思います。先輩方や聴覚障害教育に関わってきた方々の築いて下さったものに甘えるだけではなく、それを基にして更なる努力を続け、自分たちの長所を生かし、社会に貢献できる人間になれるよう自分自身を高めていかなければならないと考えています。

自分自身を振り返ってみると、このように考えられるまで成長したのは、やはり筑波大学附属聾学校に入学したからだと思います。全国から入学してくる友人達とお互いに刺激を受けながら学ぶことのできるこの学校は、私達の「楽園」であり、「第二の家」とも言える大切な場所です。私達一人ひとりがさらに努力を続け、附属聾学校の新たな歴史を作っていきたいと考えています。

最後になりましたが、附属聾学校がさらに発展していくことを願って、喜びの言葉といたします。

平成17年5月21日
筑波大学附属聾学校
高等部普通科生徒会長  坂井 肇